私には、推しがいる。

 

 

 

 

私には、推しがいる。

 

 

 

 

 

 

 

初めて「推し」と呼べる人ができたのは、

中学入学直前の春のこと。

嵐の二宮和也さんを好きになった。

 

それから10年以上の月日が経ち、

グループや人は変わっていったが、

私にはずっと「推し」がいる。

 

そもそも「推し」とは何か。

人によって定義の仕方は様々にあるだろうが、

私が定義するとすれば、

 

「推し」とは、

その人の表現するものを好きだと感じ、

その人の活動や人生そのものを応援したいと思える存在である。

 

 

きっと世の中には、芸能人など誰かのファンになったことはないという人もいるだろう。

けれど私には絶えず推しがいるし、

人生のターニングポイントに合わせて推しを探してしまうのだ。

 

 

どうして「推し」という存在をつくってしまうのか。

現実逃避か?劣等感の裏返しか?愛されたい欲求なのか?ただのイケメン好きか?

 

どうしてこの人を「推したい」と思うのか。

今までの推しを並べればある程度の傾向性はあるかもしれないが、

共通点が必ずしもあるわけじゃない。

好きになるポイントはその時々で移り変わっていく。

 

ていうかそもそも「推す」って何?

「応援する」ってなにすんの?何したら満足できんの?

私から推しにできることなんてあるんか??

一方通行ばっかで満たされない欲を抱えて落ち込むこともしばしば。

 

いつもいつも、

誰かを推しながらも、

どうして私は推しを求めてしまうのだろうかと

ぐるぐる自問し続けていた。

 

 

現時点で、ある一つの答えが出せたので、

記録しておきたいと思う。

 

 

 

私に「推し」がいる理由。

 

それは、私という人間の傾向性なんだと思う。

 

 

ステージ上でパフォーマンスをする人と

それを客席で観る人がいる。

 

この二つの役割を考えたときに、

私は絶対に

客席にいる人間になる。

 

「推したい」という感情のなかには「憧れ」も含まれてはいるし、

私は常々、

来世はイケメンになってきらきらのアイドルになりたい

という願望を抱いて生きているので、

羨ましいと思うこともある。

 

けれど、私はどうしたって、

ステージに立つよりも、

客席から見守り、声援を送り、

少しでも何か役に立ちたい、支えたいと思ってしまう人間なのだ。

 

「推す」か「推される」か、

どちらの役割を持つべきかと言われれば、

自分は「推す」側の人間だ。

 

これは、私はアイドルでもアーティストでもない一般人だし、という理由ではなく、

私はそういう役割を持った人間だからだ、と考えている。

 

だから私には、「推し」がいる。

これは私の役割だから、ある種必然なのだ。

自然なことなのだ。

 

 

 

 

「推し」がいる理由は分かった。

 

では次。

なぜこの人を推すのか。

 

 

 

私が今までに「推し」と呼ばせていただいてきた人たちと時期を振り返ってみる。

 

 

中学~大学1年頃

二宮和也

丸山隆平

有岡大貴様 

高橋優様

 

大学2年~社会人2年目頃

寺島拓篤

野上翔

PON様

来栖翔様

冬美旬様

 

社会人2年目~現在

岸優太様

浮所飛貴

タクヤ

 

 

 

ああ、こんなにたくさん。

移り変わってきてしまったけれど、

どのお方も私にとってはずっと大切で大好きで感謝してやまない方々だ。

 

ここで私が知りたいのは、

推しが変わっていく理由である。

 

今までは、自分の短所である、

熱しやすく冷めやすい、飽きっぽい

それが原因だと思っていた。

 

 

まあ、そうなのかもしれない。

全否定はできないな。

ただ今は、肯定的な部分に焦点をあてたいから、

こう考えてみる。

 

 

その時の私にとって必要なものを与えてくれる存在が「推し」になってくれた、と。

 

 

ある友達の言葉でずっと心に残っているものがある。

 

推しが推しになるのは、

推しの活動と

自分の人生と

時代と

3つが重なり合致したときに「推し」になる。

 

何年も前の、深夜に語り明かしていた時の言葉だから、

自分の解釈をかなり濃くしているとは思うが、

この言葉を聞いたときに妙に納得したことを今でも覚えている。

 

 

 

いくつか例を挙げると、

嵐を好きになったのは、

彼らが10周年を迎えた人気絶頂期。

同世代なら共感してくれる人も多いだろうが、

花男山田太郎ものがたりにはまった一人である。

流星の絆も好きだったなぁ。

 

二宮さんがかわいくてかっこよくて仕方がなかった。

二宮さんのビジュアルは今でも私の永遠の好みだし、

二宮さんの怒る、怒鳴る演技が大好きだった。

 

二宮さんが誰かを好きになる気持ちや

好きでいることが日常をこんなにも彩ってくれるということを

初めて教えてくれた人だった。

 

この頃からかな、自分から進んで好きになるものややりたいことを見つけられるようになったのは。部活や進学の道選びもその中の一つだったと思う。

 

 

 

大学時代に出会った声優の寺島拓篤さんは、

私にとってまさに「理想の人」だった。

 

あ、恋愛の意味ではなく、

人としての理想。

こんな生き方したいと思わせてくれた人。

 

 

物心ついた時から存在した劣等感というものが、

学生時代に順調に育ち、

大学生でピークを迎えて、

何にもやる気が起こせない時期が続いてた。

 

これから先の人生、前向きに生きていく勇気もなけりゃ、

辞めたくても辞められなかった。

 

そんな時、寺島さんが紡ぐ言葉に何度も救われた。

彼は、真っ暗で何も見えなかった

私の人生という道を照らしてくれた希望の光だ。

 

生きていくことがどうしようもなくいやになっていた私に、

この人みたいに生きれたら

この人に会いに行きたい

この人の言葉を聴いていたい

この人を好き人たちと仲良くなりたい たくさん話したい

 

たくさんの「したい」をくれた。

希望そのものだった。

 

 

 

寺島様の生き方で、今でも大切にしていることはいくつもあるけれど、

中でもよく思い出すしまねしていることは、

 

誕生日は周りに感謝をする日

ということ。

 

 

寺島様は常に感謝を忘れず、伝えられる人だ。

そして、とても謙虚な人。

 

誕生日は自分が祝福されることを望むのではなく、

自分が周りの人たちのおかげで生かされていることを感じ、

伝える日にされている。

 

私も見習い、

自分の誕生日には周りの方々へ感謝を、

誰かの誕生日にもその人への感謝を伝えられるように

これからもしていきたい。

 

 

こんなふうに今、

好きなものを好きだと言えることも、

寺島さんが教えてくれたこと。

好きなものが多いって楽しい!

オタクさいこー!

と思わせてくれたから、

私は今でも好きな人が増えることを肯定できる気がする。

 

 

 

 

 

 

最後のひとりにする。

 

 

岸優太さん。

 

 

 

寺島さんを通じて知り合ったフォロワーさんが最近好きになったらしい。

キンプリってザ・王道きらきら王子様アイドルだよなぁ。

まぶしすぎるかしら。

 

そんなこと思いながらも注目してみた

とある音楽番組。

 

 

 

他のみんなももちろんかっこよかったが、

 

 

岸くんを見つけた。

 

 

 

 

いや、正確には、

見られた。

 

 

 

カメラ越しに、目が合ったのだ。

 

 

 

まっすぐにカメラを見つめる彼の瞳は

確かに画面の向こうの人たちを見ていた。

 

画面を見ていた私は、

その瞳から目を離すことができず、

見惚れてしまった。

 

その一瞬で彼に惹かれ、ファンになった。

 

 

 

 

彼をはじめ、King & Princeには、

たくさんの、とても大きな

愛を与えてもらった。

 

 

愛されたかった。

ううん、愛されていることは知っている。

でも、実感したかった。

目に見えないけど、確かに愛されていると実感できるくらいの

愛を求めていた。

 

 

キンプリは常に、ずっと、

ティアラに愛を注ぎ続けている。

 

身近な存在でない、

でもだからこそ、

普遍的で無償の愛、

大きくて与え切りの愛を与えられるのだ。

 

愛に満たされた私の心は、

彼らからだけでなく、

周りの人たちから与えられる愛にも気づけるようになった。

 

 

愛を求めるばかりだった私が、

すでに与えられていることに気づき、感謝し、

私も与える側の人になろうと思えた。

 

愛を教えてくれた人だった。

 

 

 

 

私はキンプリや岸くんからたくさん愛をもらったが、

岸くん自身は、とても愛される人らしいと知った。

 

 

 

超がついても足りないくらいの天然。

彼の発言や行動は、正直意味が分からないことも多々あったが、

これだけはわかった。

 

 

こんなに愛される人はめったにいないということ。

 

 

 

同じジャニーズの方々がよく口にされていた、

 

「岸のこと嫌いなやつはいない」

 

 

身近にいる人がここまではっきりといえるのは信頼できる。

 

みんな岸くんのことが大好きで、

岸くんの周りには笑顔が絶えず広がっていた。

本人も、人を笑わせることが好きだった。

そのために生きている人だった。

 

 

 

そんなにも愛される人なのに、

当の本人はとても謙虚。

そして自分に厳しい。

 

妥協せず、努力を努力と思わず至極当然のように重ねている。

いつだって真剣勝負、全力投球の彼は

しびれるくらいかっこよかった。

 

 

 

 

 

彼のこれからの活動や生き方はわからないけれど、

 

彼を愛する多くの人のなかの一人として、

 

これからも彼を愛し続け、幸せを願い続けたいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

長いな。

 

そろそろ締めようと思う。

 

 

 

 

この長い語りの結論は、

 

 

 

私には、「推し」がいる。

 

そのことを誇りに思い、

これからも「推し」を推し続けたい。

 

 

推しも人間だから、

完璧ではないし間違うこともあるかもしれない。

 

それを知ることもあるかもしれないし

知ることはないかもしれない。

 

 

「推し」と「ファン」は

所詮そんな関係なのだ。

見せたいものだけを見せ合う関係。

 

 

だったらいらん疑を持つより、

そんなもん捨てて、

100%信頼だけをもって、

好きなとこだけを見て、探して、見つけて、

 

ああ!好きだ!大好きだ!!

 

ありったけの思いをさけぶだけでいいじゃないか。

 

 

 

今からだって遅くない

 

人の目なんて気にしない

 

貯めに貯めたこの思い 

 

すべて言葉にしてやれ

 

 

 

 

 

私は「推し」を愛してる!